年の瀬雑感

                2013.12.26
                                Webmaster  独法師(A lonely old man)

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  「あいつ、死んじまったようだ。」「いや、呆けてしまったんじゃないのか。」

風の便りに僕の噂話が聞こえてきます。少し静かにしていると、ろくなことを言われません。

折に触れ、旅行記を中心にホームページを、皆さんに送っていましたが、体調をくずしてしばらく休止しました。今年初めての発信です。

「どっこい、俺は生きてるぜ!」「呆けていなよ〜」・・・と言うことで「年の瀬雑感」を送ります。

今年、僕が関心を持ったことを、思いつくままに記述しました。多分に個人的なことを書いてあります。ご用のある方、興味のない方は軽く飛ばしてください。


1.初孫の誕生

日本は少子化の影響で、何世代も続いた家の血筋がどんどん絶えていく傾向にあるが、わが家系も例外ではない。兄は独身で一昨年他界した。弟は子無し夫婦である。何とか血筋を絶やさないようにと、一粒種の娘に希望を託した。と言っても、由緒のある家柄ではなく、ごくありふれた平民である。

けれども、地方都市では血筋が絶えることを、今でも気にしている。それに、僕の代で姓を引き継ぐ承継者が無くなったら、ご先祖様に対して肩身が狭い。娘には婿養子を取って、先祖累代を祀る「家墓」を守ってくれるように、常々言い聞かせていた。だが、人生ままならない。娘の選んだ相手は長男で、婿養子を迎えることは叶えられなかった。それなら、せめて己の遺伝子(子孫)をこの世に残したいと念じた。

娘夫婦は所帯を持って7年になるが、なかなか子宝に恵まれなかった。もう孫の顔を見ることはないものと諦めていた。それが今年2月、女の子を授かる僥倖に恵まれた。このことは、わが家にとって今年の一大トピックとなった。

友人に孫の誕生を伝えたら「孫は可愛いぞ!」と、ひとしきり孫の自慢話をきかされた。僕はこれまで他人の幼児にほとんど関心かった。それが最近、道を歩いていても、小さな子供を無意識に目で追うようになっている。

娘夫婦は、わが家の近く住んでいる。孫と娘は頻繁に行き来し可愛い姿を見せてくれる。妻は、ベビー服をやたら買い込み、着せ替え人形よろいく楽しんでいる。僕は、携帯の待ち受け画面に孫の写真を載せ、孫の成長を見守っている。今、わが家は孫にふりまわされている。

ある日、娘が「この子は、爺ちゃんに似ているね。」とやや不満げにつぶやいた。「爺々に似ればきっと美人になるぞ」 まあ、僕が保証したからといって、どうと言う話ではないが・・・

その後、何人かからも爺ちゃんに似ていると言われた。孫はまぎれもなく僕のDNAを引き継いでいるようで、一段と愛愛しくなった。僕は典型的な爺バカになっている。そして、懸命に子育てに励んでいる娘も、また、愛おしい。

ともかく、生命の誕生は素晴らしい。未来が開ける夢と希望の源になる。この命が健やかに育っていくことを望む。


2.終 活

結婚や就職活動のことを「婚活」「就活」と言うが、終活(しゅうかつ)との言葉がある。人生の最終期の過ごし方や、亡くなった後のお葬式やお墓のことを、生前のうちに決めておく活動のことである。

7年前に脳梗塞で倒れた僕は、運よく後遺症も残らず一命を取りとめた。その時から、人生の残り時間にさほどの未練はなく、死に対して恬淡となり、少しは現世を達観できるようになってきたようだ。ともあれ、馬齢を重ね、あつかましく、みすぼらしく生きようとは思わない。QOL(生活の質)が低下したら速やかに往生したい。

ところで、僕は来年、後期高齢者の仲間入りをする。これを機に死の準備を具体的に考えた。

終活には、遺言・相続・介護・住居・墓地・葬儀などがある。

遺言・相続については、僕にはさしたる財産もなく、一人娘なので相続でもめることは無さそうだ。もとより思慮深く?、小心者の僕が、隠し子などあろうはずはない。

介護、住居に関して言えば、老後の住まい方の選択肢のひとつとして、有料老人ホームの活用がある。幸い家の近くに介護付き老人ホームが近く開設される。ここを使えば近くにいる、娘夫婦がたまに見回ってくれるだろう。

最近の傾向として夫は「自分の実家のお墓に入りたい」としているのに対して、妻は夫の実家のお墓に入りたがらない。多くは「あの世離婚」を望んでいるそうだ。

わが実家には継承者がなく、やがて墓守がいなくなる。そんな事情から2年前に、妻の両親の眠っている鎌倉のお寺に墓地を求めた。妻は逗子、鎌倉に親戚が多く、この関係で娘も身寄りがいる。ここならば娘たちが、お墓参りしてくれると考えたからだ。宗派は実家と同じ日蓮宗である。

先般、両親の13回忌と兄の3回忌を実家の菩提寺で行った。住職は継承者の分からない無縁仏に悩んでいた。僕は、実家のお墓が無縁仏にならないように、住職に永代供養を頼んだ。

僕の葬儀は、しめやかに、質素に、心のこもった身内葬を希望する。花祭壇には白い菊は寂しいので、薔薇や蘭など華やかなものを飾って欲しい。BGMは、「サッチモの
What A Wanderful World=この素晴らしい世界」 を流して欲しい。棺と骨壺はこだわらない。 墓石の材質、墓のデザインは死ぬ前に決めておく。また、読経は実家の住職を呼んで鎌倉の住職と合奏してもらえるとありがたい。実家の住職の美声は素晴らしく、そのお経を聞いていると、極楽、浄土に導いてくれるような、良い心地になってくる。 こんなことを書いていると、葬儀のイメージが鮮明になり早く「弔い」をしなければ、と、思ってしまうが・・・、まだちょと早かろう。


気まぐれで、へそ曲がりの人生を送ってきた僕が、死んでまでも、他人に迷惑をかけるのは心苦しい。会葬は断ってもらいたい。

実家の家屋敷の保守管理も気になる。近頃、この近辺も住宅が密集してきた。植木の手入れや、草取りを怠ると近所の住人から直ぐ苦情が出る。今は、植木屋に手入れを頼んでいるが、固定資産税などの経費がかかり、持ちこたえることがお荷物になってきた。さりとて、生まれ育った実家を僕の手で処分するのは、故郷を捨てたようで忍びない。これは、次の世代にバトンタッチしよう。

ヨガの行法の一つに「断捨離=だんしゃり」がある。不要なモノを断つ、また捨てることで、モノへの執着から解放され、身軽で快適な人生を手に入れようという考え方である。

僕が大切に保管してある、思い出の品々も遺族にとってはただのガラクタ。大半は残されても迷惑なものばかりであろう。これらは生前に思い切って処分しなければならない。この世のお金はあの世では使えない。楽しく、有効にお金を使い切る努力もまた、しなければならない。捨てること、物を持たぬことにこだわった、方丈記の鴨長明の精神性を範としたい。

以上、気のつくまま書き記した。これは、わが思いと家族への伝言でもある。まだこの世になすべきことはありそうだが、お迎えのくる前に、着々と死の準備をすることにしよう。

最後に、夫婦のどちらが先に逝くかは大問題。男おひとり様の老後は侘しいものだ。後添いをとるには歳を重ね過ぎたし、そんな実力はない。できるなら我や先に逝きたいものだ。


3.心臓病の再燃

しばらく小康状態を保っていた頻脈性不整脈(心房細動)が2月に再燃した。頻脈とは脈が速くなる心臓発作で、健常者は通常1分間の脈拍は60~90回であるが、頻脈は1分間の脈拍が120回以上に上がり、ときには400回を超えることもある。

こうなると心臓は血液を効率的に送り出すことができなくなり、心臓はカラ打ちし、心臓がドキドキする。めまい、立ちくらみ、さらには失神することもある。僕の場合は120~130回の脈拍が長く続く。この状態は、ジョキングを長時間続けているようなもので、じっと寝ていても苦しく、疲れてくる。

係りつけの医師から、市内にある総合病院の循環器内科のS先生を紹介された。S先生は心臓カテーテルの専門医で、他の病院も指導しているエキスパートである。

詳細な検査を行なった結果、心臓弁膜症、心臓肥大はあるもののいずれも中等症で、直ぐに手術の必要はなかったので、薬物治療を行った。その経過観察のため11日間入院した。

この病院は2年前に開院した新しい病院で、TVドラマのロケ地として使われたこともあった。開院前の内覧会に行き病院内を隈なく見学した。その時、個室の環境がえらく気に入った。入院するならここにしようと思っていた。だが、こんなに早く実現するとは喜んでいいはずはない。

僕は、病室にパソコン、ラジオ、本などを持ち込んで、少しでも入院生活が快適になるよう準備した。妻は「まるでホテルに泊まるように、ウキウキしてますね」と呆れ顔。それでも、病院生活は二、三日で退屈してきた。何よりも病人食はまずい。

心房細動の治療用法としては薬物療法と心臓に電気的な刺激を与える除細動器。そして心臓カテーテル・アブレーション治療(足の付け根などの太い血管からカテーテルを入れて、心臓内部の異常な電気信号を発しているところを高周波電流で焼き切る)がある。今回は侵襲(しんしゅう=生体を傷つけること)の少ない薬物治療を選択した。

退院後、しばらく頻脈は治まったものの、無理をすると心臓の拍動のリズムが不規則になる。どうやら不整脈(心房細動)が慢性化しているようである。

そんな訳で、今年は自宅で徹底した養生生活を実践した。酒を断ち、外出をひかえ、ストレスを溜めないように努力した。少し良くなってきたので、「海外旅行に行きたいのですが」と先生に伺ったら、「外国に骨を埋める気ならどうぞ!」と冷たくつき離され「もう少し待て」とのことであった。しばらくは海外旅行を封印しなくてはならないようだ。

主治医は40歳前後の腕が確かな先生で、僕と相性も良く、相談ごとを丁寧に聞いてくれる。この信頼できる先生の指示を守って、いまはひたすら自宅養生の日々である。籠城生活を余儀なくされている。

だが、加齢による体力の低下、つまり経年劣化と養生の効果が、凌ぎあっている状態で、なかなか寛解(かいかん=症状が一時的あるいは継続的に軽減すること)に至らない。

薬物治療がうまく行かなければ、心臓カテーテル手術に踏み切る必要があるかも知れない。この手術はリスクは少ない療法であるが、それでも心臓にカテーテルを差し込むので、それなりの危険はともなう。先生は治療効果は完全ではなく、再発することもあるとして積極的に進めない。妻や娘は反対している。このまま手術を先送りして、ポンコツ心臓を丁寧に使い、持たせられるだけ持たせるのが良いのか、手術をするかが、悩ましいところである。

後述の三浦雄一郎さんは心臓カテーテルを4回行い、80歳でエベレストに登頂した。こんな超人的肉体の持ち主と比較できないが、僕もそこそこに頑張らにゃ・・・

僕のささやかな夢は、冥土に旅立つ途中、ちょっとギャップイヤー(人生の寄り道)して、「悠久の歴史を刻む、サワラ砂漠でのテント生活」「約80の民族が住んでいる、エチオピアの原住民めぐり」「ヌーの大群を追ってサバンナ移動する」などの旅をすることだ。想像するだけで、ワク、ワクする。心臓トラブルを抱えながらも一縷の望みは持っているが、はたして実現なるか。


4.大間のまぐろと六ケ所村

「本場大間の生まぐろを食べに行かないか」と、親友のT君から電話が入った。暇を持て余している僕は偶の気晴らしにと喜んで賛同した。いつも一緒に旅をしている元会社の先輩Hさんを誘って7月下旬、3夫婦で3泊4日の旅に出た。

大間は青森から車で3時間。下北半島の先端に位置し、本州最北端の町である。ここで捕れるまぐろは、グルメのブランドとして人気が高く、今年の築地市場の初セリでは、222キロのマグロに1億5,540万円の値がつき、史上最高値を更新し話題となった。

大間の街は人通りも少なく閑散としていた。ここでのお目当ては、高級なまぐろを厳選して食べさせる「浜寿司」である。やっと探しあてた、「浜寿司」は運悪く定休日であった。仕方なく町中を探し「かもめ食堂」なる店があった。まぐろの町、大間のこと旨いまぐろを期待した。ところが、出てきたまぐろ丼の不味いこと。遠路はるばる来た甲斐がなかった。 

後日、T君は一人で大間を訪れたと言う。よほど本場物に未練があったのだろう。千葉から一人で車を運転し行ったという。その執念たるや見事と言うか、変わり者である。彼は件の浜寿司に入って、特上まぐろを注文したが、ここでも、旨いまぐろは食べられなっかようだ。季節が少し早かったかもしれない。

本当に高級なまぐろは東京の料亭に卸されると言う。グルメ垂涎の大間の本マグロは東京で味あえるはず。それでも津軽海峡を望みながら、現地で食べるところに価値があると、彼は言う。
ところで、大間には建設中の電源開発(J power)の原子力発電所がある。東日本大震災に伴い、反対運動が高まり本体の建設は一時休止している。僕は建設途中の原発を見学しようと工場を訪れた。見学には事前の申請が必要とのことで、見学はできなかった。しかし、応接間で幹部から丁重な説明を受けた。住民にかなり気配りをしている様子がうかがえた。

実は、ここにくる途中、核燃料再処理工場のある、六ヶ所原燃PRセンターに足を運んだ。六ヶ所村は、多くの風力発電施設、原子燃料サイクル関連施設や国際核融合エネルギー研究センター、石油備蓄基地などのエネルギーに関する施設が集まっている。再処理工場は、村の中心部から10分ほど走った場所にある。敷地の周囲は高い柵で囲まれていて近寄って見ることはできない。

僕たちは原燃PRセンターに行った。ここでは、ウラン濃縮工場、低レベル放射性廃棄物センター、再処理工場など模型や映像、パネルで分かりやすく紹介している。3.11の事故以来見学者が半分に減ったそうだ。そのためか、案内のお嬢さんが丁寧に説明してくれた。この見学で原発の知識がより深まった。


5.原発考

首相時代には原発推進の旗振り役であった小泉元首相が、どうゆう魂胆か原発ゼロに変節した。原発をいま直ぐ止めても使用済み核燃料の処理で10万年以上の年月がかかると言う。その道筋をつけないまま、いきなり原発ゼロを声高かに主張する愚論は無責任である。天皇に直訴したバカ議員と、心のありようは同じようにみえる。総理までやった人が、晩節を汚し、老醜をさらすようにならなければよいが・・・

日本のエネルギー自給率は4%と極めて低い(’11年度エネルギー白書)。その上、50基ある原発を全停止している。いまだに再稼働の見通しが立っていない。原発廃止をきめたドイツでさえ、現在17基中9基が稼働中である。脱原発を宣言したドイツに陰りが見えはじめているようだ。

欧州では原発の運転期間を延ばす動きが広がっている。フランスでは運転期間を40年から50年に延ばす検討に入った。<大前研一ニュースの視点)

30年新設を避けてきたイギリスまでが、ついに新設に踏み切った。資源のない日本にとっては、効率的で大量のエネルギーを安定的に確保するためには、原発は手放せない。

また、CO2を排出しない原発のエネルギーは、地球温暖化対策としても優れている。先週報告のあった、ドイツのシンクタンク「ジャーマンウオッチ」によれば世界の主要58の国で、温暖化対策が一番進んでいる国はデンマーク。日本は50位で中国の46位にも抜かれ、落第点をもらっている。これは化石燃料使い放題の火力発電の稼働が響いているのだろう。

原発など無い世の中のほうが良いに決まっている。反原発の動きをまったく、否定するつもりはない。しかし、世界の潮流は原発推進に向けて動いている。日本の近隣では、中国17、韓国23、台湾6が現在稼働中で、中国は近い将来100基の原発を稼動する予定と聞く。(櫻井よしこ氏:日本ルネッサンス)石波幹事長は「原発ゼロの場合、中東で何か起きれば国民の生活は奈落の底に落ちるであろう」と発言した。

高速鉄道事故を起こした中国が抜け目なく、粗製乱造の原発を各国に輸出しようとしている。この現実をわが国はどう考えるか。中国が原発事故を起こしたなら、汚染の影響はPM2.5をはるかに超え我々の生死に関わる問題になろう。

そうならば、日本が3.11災害の苦い経験で手にいれたノウハウを、原発の安全技術に大いに生かし、世界やアジアに貢献しなければならない。大震災の津波以上のものが発生しても安全に稼動できる、世界一安全な原発の建設は日本をおいてはなかろう。日立、東芝、三菱の技術はアメリカ、フランスを凌いでいる。

安倍総理はトルコに2回におよぶ訪問で原発輸出に成功した。日本の原発技術が世界に評価されている証左でもある。これにより、日本の原発輸出に弾みが付きそうだ。原発を積極的に世界に売り込むことが世界の安全、そして、日本の経済発展と安全保障につながるものと信じている。

思えば、1965年東海村に原発1号機が稼働し、夢のエネルギーの灯がともった。その威容を見学し、僕は胸躍る興奮を覚えた。48年前のことである。

原子力のリスクにどう戦って、どう育て活用していくのか、日本の技術の底力を発揮する時がやってきた。

ところで、原発反対運動の裏には中核派などの非核、反国家の思想が見え隠れする。いたずらに扇情的に不安を煽って、国家転覆を画策しようする不逞の輩に蹂躙(じゅうりん)されてはたまらない。

原発問題になると、反原発派の愚妻と対立する。お互い険悪になる。科学的根拠の薄い放射能汚染をことさら強調する一部のマスコミ報道に煽られ、単なる扇情的な感情論では判断できない難しい課題である。原発を正しく理解し、子々孫々を見据えた冷静な判断が望まれるところである。原発問題は対立ではなく、理解と協力を通じてお互いに解決の糸口を見出さなければならない。

無知の安心、小知の不安、熟知の納得(理解)! 

世論に臆してか、原発推進派は静かだ。下記のURLは、原発推進派の論客である。

http://www.youtube.com/watch?v=LdM3zQJ-15s  西部 遇(反原発と東電叩きは止めよう)

http://www.youtube.com/watch?v=31Qf2shVvsY  中野剛志(反原発派にもの申す)

http://www.youtube.com/watch?v=WwtX53TfWyM  日下公人(原発と放射線障害の嘘)


6.世界文化遺産・富士山に思う

荘厳な富士山の雄姿は、古代から多様な信仰の対象、心のふるさとして日本人に崇拝されてきた。その富士山が念願かなって、世界文化遺産に認定された。

遠くから見たら優雅な富士山も近くでみると、汚い山になってしまう。毎年30万人以上が富士登山をしていると言う。だが、富士山は登る山ではなく、遠くから鑑賞する山のようだ。私たちは世界遺産に恥じないよう、ゴミの山を一掃し、この財産を子孫に残さなくてはらない。

ちなみに、ニュージーランド北島に円錐形の美しい山、タラナキ山がある。標高、2,518mで富士山に劣るが優美な山である。こちらは早々と世界自然遺産に登録されている。

             タラナキ山 (クリックしてね)


僕と富士山とのかかわりは半世紀前にさかのぼる。毎年11月になると富士山を訪れていた。冬山訓練のためである。1963年11月22日(日本時間 11月23日 勤労感謝の日)僕たちは冬山訓練を終えテントに入った。そこで短波放送を聞きながら天気図を書いていた。

この時、ケネディ大統領暗殺を知り、この蛮行に大きな衝撃を受けた。僕たちの世代は、アメリカの範を仰いで育った。アメリカは自由主義、民主主義、富める国、文明国とのイメージを強く焼き付けられた。戦後の物不足にあえいでいた、日本人にとってアメリカは羨ましい存在であった。進駐軍のばらまいた、キャンディーやチョコレートを拾って食べた僕たちには、余計その感が強い。

この、ケネディ大統領の暗殺はアメリカの繁栄が一変し、暗いムードに覆われ始めた。そして9.11の同時多発テロに見舞われた。このことで、超大国アメリカは自信を失い、内向き志向になってきたようだ。僕には「勤労感謝の日」は特別な思いがある。

ついでながら言えば、ケネディ氏の葬儀で、長女キャロラインちゃんがジャクリーン夫人の手をしっかり握りしめ、悲しさを堪えていた映像が世界に流された。この姿は人々の涙を誘った。

そのキャロライン・ケネディ氏が駐日大使として11月に赴任した。彼女の顔に刻まれた皺が、時の流れを感じさせる。美容整形先進国のアメリカのこと、本人が望めばヒアルロン酸注射やボトックスなどで美肌を手に入れることはたやすいはず。けれども、年相応の自然な皺を隠そうとしない。生まれながらのセレブは容姿にお金をかけない。これこそ本物である。

富士山のようにノーブルで、美しい雰囲気のある大使に、日米関係のすそ野がさらにひろがることを期待したい。 

余談だが、ワシントンのアーリントン墓地を訪れたとき、ケネディ大統領のお墓を参拝した。遺骨は永遠に消えることのない炎とともに眠っていた。その墓は名前と没年だけのシンプルなものであった。

             
7.三浦雄一郎氏の快挙

5月23日、冒険家三浦雄一郎さんが80歳7カ月で世界最高峰のエベレスト登頂に成功した。微風、快晴の頂上から衛星中継で伝えられたこの快挙に、高齢者を勇気づけるニュースとしてメディアを賑わせた。

「死の臭いがする」と言われるこの山で、命を落とした登山家が何人もいる。事実、これまでエベレストは1,924人挑戦して179人の死者を出している。(死亡率9,3%)。僕はこの快挙に人一倍関心を持った。なぜなら、三浦氏が心房細動の持病を克服してのチャレンジであったからだ。これまでに4度の不整脈治療手術を行なっていると言う。しかも4度目は登頂を控えた、今年1月に心臓手術を行っている。同じく心房細動に苦しんでいる僕には信じられないことだ。スーパーマン、という以外に言葉が見つからない。

8,500メートルの高地では酸素は平地の3分の1。プロの登山家でも酸素不足は体力が衰え、天候の急変で遭難のリスクは高いとされる。こんな過酷な環境に好んで挑戦する冒険野郎の超人的な生命力はどこからわいてくるのだろう。

僕が三浦氏を知るようになったのは、1966年富士山をスキーで直滑降したニュースに触れた時である。雪と氷の冬の富士山は、アイゼンとピッケルの世界である。固く氷ついたブルーアイスはピッケルを打ち込んでも跳ね返されるほど硬く締まっている。こんな中を滑走する命知らずの冒険野郎に驚いた。その後、この男は次々と世界7大陸最高峰からのスキー滑降に成功し世界的に名を馳せた冒険家になった。

今回の登頂計画は実現までに3億円の費用が掛かったそうだ。遠征には27名のスタッフに囲まれての豪華な布陣であった。スポンサーやサポーターの翼賛に支えられたようだ。こんな大金を易々と集められるのも、三浦氏のこれまで実績から成功を確信してのことでは無かったのか。

心臓病に関しては若い高所医学の女医が付き添い、携帯用心電図からのデータをパソコンに落とし日本に送って管理していた。まさに至れりつくせりのバックアップ体制でもあった。それでも心臓発作が高所で発症したら対処の方法は簡単ではなかったろう。

三浦さんの5年後の85歳は世界6位の高峰チュー・オウからのスキー滑降を表明している。

何歳になっても夢を持ち、だれもなしえたことのない挑戦の歴史を続ける、超人三浦さんに畏敬の念を覚えずにはいられない。

参考:BS TBS(9月15日放映) 三浦雄一郎80歳の挑戦(エベレスト登頂の真実)